別のサイトでブログを書き始めました。
10月 10th, 2008ご無沙汰しております。
暫く更新が滞っておりましたが、新しく以下のURLでもブログを書くことにしました。
美術家のY.K.とのコラボレーションのプロジェクトです。
是非お越しください。
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世に倦む日日「新自由主義と福祉国家のイデーの対立と衝突 - 決戦の総選挙」
「いわゆる「北欧モデル」のイデーが次第に人々の関心を惹き始めていて、新自由主義と原理的に対決する社会像として注目を集めている。」と、上記の記事の中に書かれている。
「北欧モデルのイデー」については、自分の仕事とも関係があるので、これまで考えたことを書いておきたい。
新自由主義をアメリカの主導する政治理念、福祉国家を北欧の政治理念だとすると、これは端的にアメリカと北欧へのイデーの対立について言われている。
ただ、このアメリカから北欧へのイデーの変化は、単に小泉・竹中のアメリカ的な新自由主義がもたらした「格差」に対する揺れ戻しという短期的な傾向とはいえない。この傾向は、日本人の住宅スタイルにも観察でき、政治の領域以上の広がりを持った問題と関係している。
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岡安泉「カレイドスコープ」展
時間:12/20-1/26 AM10:00-PM22:00
場所:Happa 目黒区上目黒2-30-6
照明デザイナーとして活躍されている岡安泉さんの展覧会が、中目黒の小スペース「Happa」で行われている。
ここで展示されている作品は、LEDを正三角柱のアクリルに差し込んだだけのシンプルな(照明器具というよりは)装置によって、光の屈折を利用した光の万華鏡「カレイドスコープ」を作り出すものだった。
絞り込まれたシンプルな仕掛けで、複雑な現象が作り出せるのは、やはりLEDやアクリルといった材料や光の特性に対する深い理解があるからだろう。
この作品には、以前このブログでも紹介した、オラファー・エリアソンのインスタレーションにも通じる精度を感じることができる。
Olafur Eliasson official website
オラファー・エリアソン「光と影」展 レポート
ビジュアルだけを操作するデザイナーが多い中、岡安さんはアクリルやLEDといった現代の建築技術から町工場のマイナー技術に至るまで、深いレベルで使いこなすことができる数少ないデザイナーの一人だと思う。
小規模ながら、表面的な新奇さだけのデザインに飽きた人には、必見の展覧会だ。
かつては大国の国司にも相当する高い社会的権威を与えられた大工の称号を、まったく社会的権威とは無関係な単なる建築職人の職種名にまで転化させたことは、すでに述べたごとくである。この語彙の変化は、その裏面において、建築を設計し各種の建築職人を統合して工事を管理する高級技術者である大工が、量的に増大して、その希少価値を失うに至った結果にほかならない。
このような大工技術の普及は、日本の建築が一貫して木造建築に終始し、その不変であった加工対象に対して、その工作法が前代の技術経験を元に新たな工夫を加えて、連続的に発展を遂げ、前代の経験を工具に定着させて、労働力の生産性を高め、また構造形式の連続的な発達が設計法の上で、機能的な木割術を生み出し、天才的な設計才能への依存から脱却しえたことによると言えるであろう。
したがって大工技術の普及した近世末の建築においては、すでに完成しきった建築の手工具とまったく数学関数化した木割術の部材比例と、そして、発展した需要に対応して商品化された、建築材料および畳建具などの建築製品の商品規格等から醸成される建築形式が、個人の能力によっては動かしがたい強固な規制力をもつに至った。
(渡辺保忠著『日本建築生産組織に関する研究』P107)
引用部分の「大工」を「建築家」に置き換えてみると、今の建築家が置かれている状況をおおよそ言い当てる文章になるように思える。
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サイドバーの[projet]欄にリンクしていたRSSreaderをアンテナに変更した。
今提供されているRSSreaderは、基本的に記事の更新内容をチェックするだけなので、機能的にアンテナとほとんど違いがない。ただ、現状では、RSSが配信されているサイトは限られているので、RSSしか登録できないRSSreaderより、アンテナのほうが便利そうだ。
いまのRSSreaderの多くは、読者自身が自分の好みのブログをチェックするために設計されているが、当初、RSSreaderを選んだのは、RSSがタイトル・日時・投稿者などの規格が統一されていて、その規格を利用すれば、別の可能性が広がりそうだと考えたからである。
例えば、RSSを使えば、ネット上にあるさまざまなブログの記事を、自分流に並び替えてオリジナルのニュースサイトをつくることもできる。
今後、そんなRSSの機能を最大限活かしたRSSreaderのサービスが、どこかのサイトで行われれば、RSSを使う価値はあるはずだが、それには、もうしばらく時間がかかりそうである。
坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」
「暗い空間には、1.2m四方、30cm高の水槽が3x3個グリッド上に吊られています。水槽内部では人工的な霧が発生し透過と不当化をつなぐかのように流動的なパターンがたえず産み出されていきます。水槽の上から放たれる映像は水溶きの織り成すパターンを通過することで絶えず融解され、抽象と具象の境界をたゆたい続けます。音や映像は流動的な霧やコンピュータのランダムネスにその展開を委ねることでリニアで確定的な時間や空間性から逃れ、ダイナミックに変動する現象として出現し始めます。訪れた人々は、空間内を自由8に動き、水槽の下にたたずむことで、可視と不可視、聞き取れるものと聞き取れないものの間に潜む生きた変容の場に立ち会うことになるでしょう。」
(坂本龍一+高谷史郎「LIFE-fluid,invisible,inaudible」チラシより)
9/15よりICCで行われている坂本龍一と高谷史郎の展覧会「LIFE-fluid,invisible,inaudible」に行ってきた。
展覧会の内容は、チラシに書かれていた上記引用の通り。
映像とそれを投影するための水槽や霧を発生させる装置などを担当した高谷史郎氏と、3×3台の水槽にそれぞれ二台づつ取り付けられた18台のスピーカーから出力される音楽(音?)を担当した坂本龍一氏とのコラボレーションによるインスタレーション作品である。
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K-house
昨年このサイトで建設過程を紹介してきたK-houseのコンセプトグラフィックです。
「犬小屋」、「船」、「戦闘機」、「山小屋」、「民家」、「ジャコメッティの彫刻「CUBE」」。
K-houseをみた人たちが、この建物と関連付けたイメージを並列させてみた。
前回のエントリーを書いたところ、パリに住む友人から、「北と東が低級な、そして西と南が高級なイメージ、というのは大体パリにも当てはまります。 」というメールをもらった。
同じ文化圏にあった各地域で、方位に対するある一定の信仰・神話があったというのは納得がいくが、全く隔たったパリと東京という二つの場所で、方位に対する同じ考え方があるのは、どういうことなのか。
ちょっと不思議なのですが、この方位に関する一致はあくまで偶然だと考えていいかもしれない。
「フランスでも今大聖堂が建てられているところは、キリスト教以前の原始信仰ですでに選ばれた土地だった」とのことで、その原始信仰のなかに、方位に関するものがあったのだろう。
そして、その方位に関する捉え方が、太古に、現在のパリに住んだ人たちと東京に住んだ人たちとが抱いた原始信仰が、ともに同じだったとすれば、それほど違和感なく受け入れられる。
いずれにしても、太古の信仰や宗教で考えられていた場所の意味が、現代のパリでも東京でも同じように観察できるのではないだろうか。
都心(ここでいう都心とはどの地方都市にも当てはまる繁華街という意味です。)から、同距離の不動産価格には、方位により明らかに違いがあります。多少のずれはありますが、西の物件が高く、北東の物件が安いのです。
(「アパートマンション経営入門」藤山勇司著)
ある不動産に関する実用書で、上記ような記述を見つけた。
以前、東京を表現するのに、「カオス」とか「均質」という言葉がよく使われた。ヨーロッパの都市が、城壁で囲まれた古い町並みが残っているのに対して、東京にはまったく古い建物がなく、すべての場所で町並みを無視して、「scrap and build」が繰り返されている。その結果、都市全体に特徴がなくなって、「均質」になっている、と。
確かに、町全体が過去の町並みとは無関係の大量生産された建材でつくられた無表情で、かつ雑多な表情をもったプレハブ建築で埋め尽くされ、外見上は東京が「均質」になっているように見えなくない。
ただ、よく不動産の価格を比べてみると、街の中には明らかに不均質な差がある。
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【改正建築基準法】設計者の努力だけでは対応に限界、日事連緊急会議の参加者が指摘(「KEN-platz」07/08/31)
「改正法施行の前ならば、設計者は着工後に施工者と相談しながら実施設計を煮詰めていくことも不可能ではなかった。しかし建設会社が設計・施工一貫で手がける建物を除くと、確認申請時には施工者は決まっていないのが普通だ。「設計者はこれまで以上に、施工現場を強く意識して申請図書をまとめる必要がある。それができない設計者は淘汰されていくだろう」(杉本氏)。 」
上記のような記事を見つけた。
いうまでもなく、設計者は、設計段階で施工現場を意識して設計図を書くべきである。
設計図が建物の建設のために描かれるものである以上、施工現場をまったく意識しない設計図はありえない。
ただ、このような法規的な制約によって、現場での設計変更が認められないとすれば、設計者は新しい技術の開発に挑戦できなくなり、ますます既製品だけを組み合わせて作られた凡庸な建物が増えることになるだろう。
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